Twitter の TL から

TL 上で、日本の経済的勃興と没落を東西冷戦にからめて読んでいる人がいたのだけど、私の思うところとは異なるので、思うところをつらつらと書いてみたりしよう、そしてせっかくだから久々のブログネタにしようw


経済的な流れとしては70年代までに安い工場労働力で台頭し、70年代中盤以降いい感じに円高にシフトしながら国際金融の中央を占め……85年、プラザ合意円高が急進して急ブレーキ、以降ボロボロ、といった感じで見ているのだけど、この流れ、端的には中国人がよくまとめていたりする
プラザ合意についてはググって調べてみてもらいたいのだけど、1970年には1$=360yenだったのが、1973年に変動相場制に移行して徐々に円高へと向かい、1980年代までは200yen代で推移していた。それを1985年のプラザ合意では242yenがいきなり一日で20yen近く円高へ以降、約1年で150yenぐらいまで円高が進んでいる。凶悪だ。
まあ、そんなわけで、東西冷戦の終結よりはこっちの方がより大きな原因だろう。


ところで、中国は日本の為替の歴史をよく研究しており、昨今の元切り上げ圧力に対しても抗しようとしているようだ。一方の日本においては近現代史はほとんど省みられていない。学校の授業でも取り上げられない。
これは由々しき事態……ってレベルを通り越してありえない程に無謀な事で、これまでの経緯を踏まえなければこの先が見えてこないし、現代の問題に対症療法的にあたる事が妥当であるかのように錯覚してしまう。
例えば上記の流れに沿って公共事業を考えてみると、

  • 80年代以前
    • 工場を作って輸出できれば地域が発展する(勝ちパターン)
    • 工場を作る建設会社と道路交通網の整備が必須(条件の整備)
  • 80年代
    • 工場を作っても輸出できなくなる(勝ちパターンの喪失)
    • でも地方にはそれに向けて育てちゃった建設業がある
    • 道路整備の順番待ちも残ってる
    • >公共事業の継続(中央の収益を地方へ循環させるという目的の変化)

のような図式ではないか? と思えてくるのだけど、そんな解説は巷にはそれほど多くない。
こう考えると、公共事業を削減する事と地方経済を切り捨てる事が同一視される文脈が活き活きとしてくるし、地方経済をどう発展させればよいのか? というプランを示さない公共事業への感情的な反論の気分が見えてもくるので、おそらくはそれなりに妥当な解釈ではないかと思うのだが……


逆に今、「新しい産業が必要だ」のように言われている中で、実は80年代、奇跡的な経済発展が成されたと言われている時期に、本来経るべきであった文化・経済的熟成期間をすっ飛ばしたという事はないか? そして、この間の段階に相応しい産業がない事が、今、苦しい原因であり、必要なのは「新しい」産業ではなく、すっ飛ばした期間に生まれてくる、生まれてきていなければならなかった産業ではないか? という考え方もあっていいのではないか?
まあ、これについては私はそうは思っていない*1のだけど、このコレクションの不足を調査して埋める事は今無い産業を新たに構想するより簡単で、あって悪いものではないはずなので、あっていいどころかもっと議論されるべき視点かもしれない。でもそんな話も聞かない。


今、坂本龍馬が熱いみたいだけど、振り返るべきは明治維新ではなく、近現代史ではないだろうか?

*1:すっ飛ばした期間の経済規模、つまりは世界10数位以内に収まろうという守りの視点ではそっちの方が大切かもしれないけど、ここから先どう成長しようか? と考えるのであれば、次の産業を探さざるをえないよね?